凸版印刷とともに60年(11/15)

鈴木和夫

エレクトロニクス化に対応「2・5次産業」の提唱

私が社長時代に唱えた「二・五次産業」という言葉を、一時マスコミが喧伝したことがあるれは単に、二次産業と三次産業を足して二で割ったものではない。

当時既に、印刷技術の世界は、アナログ+デジタル、紙とインク+電子映像メディアというよ、新しい方向に発展しつつあった。当然、産業構造も大きく変貌した。当社も単なる受注・二次加工産業ではなく、三次産業的なソフト・サービス業的な部分を組み合わせ、総合し、複合させながら、それらのシステマティックな動きを、経営の根幹に据えた事業運営が求められていた。

それを私は「二・五次産業」と呼んだのである。

自動車に例えれば、後輪は駆動輪で、基本の二次産業に当たり、物を造るという本来の仕事をする部門。前輪は、物をどうやって造るのかという方向をガイドするもので、それはマーケティングや研究開発といったソフト・サービス的な部分の活躍の場であると考えた。

従って、二・五次とは二次と三次の真ん中ではなく、二・一次もあれば二・七次もあるわけで、それは仕事にソフト・サービスの絡み方の多い少ないによるというのが私の主張であった。

もう一つ、私は「プリントロニクス」という新語を造った。これは正直に言えば自作ではない。三菱総研の牧野昇さんの講演を聴いた時、これからの商売には、お尻に「トロニクス」を付けなさい話があった。

頭の中で色々と策を巡らせていた時だけに、早速「いただき!」ということで、「プリンティング後に「トロニクス」を付けて、「プリントロニクス」という造語にしたのである。

この講演を聴いたのは、昭和五十九(一九八四)年の中頃であった。当社の正規なスローガンとは、翌昭和六十(一九八五)年の社内向け年頭挨拶で打ち出した。

牧野さんはその後、あちこちの講演で「凸版印刷の鈴木社長はプリントロニクスと言っている」されて、宣伝これ努めていただいた。しかし、私は牧野さんにいまだにロイヤリティを払っていないのが心に引っかかっている。

いずれにせよ、「二・五次産業」といい、「プリントロニクス」といい、経済・社会構造がアナログからデジタルへの、大きくそしてスピーディな変化の中で、印刷産業が果たすべき、いや印刷業がこれからの世界で生き抜いていくための、存在理由と存在意義を表した言葉のつもりであった。

しかし現在ともなると、このスローガンはもはや既に過去のものとなっているとも思えるし、基にはいまだ的は外れてはいないのではないか、とも考えている。

だいぶ前のことになるが、東京ロータリー・クラブの例会に、一人の英国人ロータリアンがロンからメークアップに見えた。彼は私を目ざとく見つけて、「あなたの講演で、大変に印象深かった言葉は『PRINTRONIX(プリントロニクス)』という言葉だった」と話しかけられ、本当にびっくりした。

昭和六十二(一九八七)年に第五回世界印刷・情報会議(COMPRINT(Communication and Print))が、ウィーンで催された。その会議の中で話した私の造語が、何年もの年月を経ているのに、その時まだロンドンで命脈を保っていたとは。

実はこの二つの造語は一つのことを言っている。

印刷業は、従来は「ご用聞き受注産業」に徹していた。得意先を足しげく訪問して「本日はご注ありませんか」と。

しかし現在、そのような営業姿勢では得意先の満足度は零点に近い。役に立たなくなったということを表している。「二・五次産業」と「プリントロニクス」によって、得意先に対しては積極的な企画提案型営業活動が、さらに市場に対しては徹底した需要創造型の営業活動が必須であることを表している。

そして社長が先頭に立って、工場も研究所も、その他あらゆる部署が、この経営スタイルに溶け込まなければ、将来は危ぶまれるという私の社長としての叫び声なのであった。

NHKの『鈴木健二お元気ですか』から対談の申し込みがあったのは、ちょうどその日の夕方に、先に述べたウィーンで開催される世界印刷・情報会議のスピーカーとして、成田国際空港から出発する予定の日であった。急遽、出発を次の便に変更してもらい、家のすぐ近くの西郷山公園で、「健康と人生」について楽しく語り合った。

NHK鈴木健二アナウンサーとの『お元気ですか』の対談

鈴木健二さんの質問に対して、私は次のように答えている。

鈴木(健) 先ほどのお話のような、戦後の激しい労働に携わって、今日を築かれてきたというと、そこに何かご自身の健康哲学みたいなものが生まれませんか。

鈴木(和) 健康哲学というほどのものではないのですけれども、実は私は指輪をはめています。結婚後三十年たって、二人の子供も就職し、嫁をもらうという時代になったし、仕事も何とか大過なく続けてきました。そこで家内として、結婚三十周年はどうしようかと言ったときに、ぱっと思い立って、「指輪をつくろう」ということになったのです。この指輪には、「健全な精神は健康な肉体に宿る」という言葉がラテン語で彫ってあります。「MENS SANA IN CORPORE SANO 」という文字です。なぜこんなことをやったかといいますと、家内ともども、ここまで健康で、仕やれた感謝の気持ちを常に抱いていたいという、当たり前の発想からです。それで現在までずうっと指にはめています。

(NHK出木健二『お元気ですか』より)

家の近くの西郷山公園にての収録風景