わが青春の譜(7)(2/5)

山岡浩二郎

現地生産が軌道に乗るまで

さて、ここで、工場建設から現地生産が軌道に乗るまでの数年間を、ブラジルの国内情勢とともに振り返るとしよう。

当時のブラジルは、ブラジルヤンマー設立の前年にあたる一九五六年にクビチェック氏が大統領に就任してから、ようやく政治的にも安定の気配をみせるようになり、「先進国の五十年間の進歩を五年で」というスローガンによる「経済開発五ヵ年計画」で、積極的に外国資本を導入し、自動車産業をはじめとして製鉄、造船、石油などの産業を発達させて、経済不況を一挙に解消しようという政策をとっていた。そのひとつに「自動車奨励法」という法律があり、それに基づいて設けられたGEIA(自動車国産奨励委員会)のプロジェクトのなかにディーゼルエンジンの製造もふくまれていたことは、現地生産にもさまざまな恩典があたえられるという点で、工場建設にはまたとないよい機会であった。

だが、反面、これはクビチェック大統領の任期巾に限られるという不安もあった。六十年十月には大統領選挙がひかえていたが、同氏が再選されるという保証はなく、もし再選されなければ(事実再選されず、クフドロス氏が大統領に就任した)、せっかくのプロジェクトも廃止されてしまう危険もあった。しかも、このクビチェック大統領のとった工業政策は、他面では、農業政策をおろそかにして、農畜産業の経営状態を圧迫させる結果になったためヽ農業生産材の需要が減退、ブラジルヤンマーとしては、農業の先行き見通しの不安と、販売ルートの確立が不十分なままに、工場建設の時期・規模などをどのように実行するか、きわめてむずかしい課題となったのである。

こうした事情を背景に、いつ工場建設に踏みきるかは別として、現地ではともかく毎日のように、工場用地を探し求めて候補地に足を運ぶ作業がはじまった。ブラジルではまだ土地が潤沢にあるとはいうものの、さすがにサンパウロ近郊地域での工場建設はすでに飽和状態に達しており、工場の地方分散計画という政府の方針も手伝って、かなり遠方まで足をのばさねばならなかった。そして、実際に調査した場所の数、実に四十数カ所におよんだ末、絞りに絞って、最終的にサンパウロ市からアニヤングーラ街道を西北に約百キロメートル行ったところにあるインダイアツーバ市に、工場用地を確保することを決定したのであった。

このインダイアツーバ市は内陸部に位置するために、一年を通して温暖な乾燥地帯で、機械製造にはまことに適しか気候であり、しかもすぐ先にあるビラコポスという市には、近々国際空港の開港が予定されていて、道路の舗装完備も進められることになっていたので、ヤンマーの工場立地条件としては、まさに好適のところといえた。

さらにこの市は、もともとはサンパウロ近郊の有力なトマト産地で知られた人口三万人ほどの小さな町だが、近年卜マトの値段が安定しないために今ひとつ町が発展せず、そのために市全体が工場誘致を心から望んでいたところであった。そこで市当局は、ヤンマーが想定していた十八万平方メートルの工場用地に対して、市有地を無償で譲渡することと、市税を二十年間免除するという条件を提示、それを受けて私たちは具体的な交渉を進めた結果、一九五九年十一月、緊急市会は工場敷地の譲渡を決議、暮れも押しつまった十二月に、正式譲渡が決定したのであった。

ちょうどその頃であった。今度はブラジル政府内に、国内工業保護を目的とした輸入税率引き上げの動きが活発化、早く工場を建ててブラジルでの国内生産に切り換えなければ、輸入税の高いエンジンを日本から輸入しなければならず、そうするとせっかくのGEIAの権利も放棄しなければならないという問題が生じた。そこで農業生産の回復見通しや販路の開拓には、まだ相当の不安が残っていたが、急遽、当初計画を変更、工場の機械設備を日本から分割して運び込み、ともかく小規模生産からはじめることを決断した。

もともとヤンマーには昭和八年(一九三三年)十二月二十三日、現在の平成天皇のご生誕を告げる号外が舞った朝に、世界最初の小形横型水冷ディーゼルエンジン(のちのHB型と名付けられた五.六馬力)を完成させたことから、この日を「ディーゼル記念日」として祝う習慣があるが、これに因んで一年の後一九六〇年十一月二十一日を工場開始日に定め、猛烈な突貫工事に着手したのであった。

十二月と言えばブラジルは雨期の真っ最中である。幸い、この日に見事開所式を実現させたのであるが、前夜まで雨が降りつづいていた。しかし当日の朝は雨もあがり、安東駐ブラジル全権大使、石井サンパウロ総領事をはじめとする、日本ブラジル政財界の方々の多数の参列を得て、開所式は盛会裡に執り行なわれた。ヤンマー本社を代表して出席した私がテープカットをしてセレモニーを開幕、念願の現地生産工場がスタートする運びとなったのである。

工場開所式での挨拶

工場開所祝賀パーティーで安藤駐伯権大使と懇談する