大阪の明治・大正・昭和初期のカラー印刷(2/8)
市田幸四郎とその時代(1885~1927年)

元凸版印刷株式会社専務取締役 河野通

印刷と画像の表現

人類は、言葉を伝えるために文字を作り活字を考案して活版印刷を実現したように、画像をとどめるために様々な工夫を凝らして版を作り画像印刷を実現してきている。その歴史は、彫刻凹版や木版のようなハンドワークによる画像表現の時代、カメラを用いた写真製版による工学的画像表現の時代、カメラに代わりスキャナーにより画像処理をした時代、さらにデジタル化によるコンピュータ画像表現の時代に大別される。

15世紀後半、ヨーロッパでは銅板にビュラン(7)で彫刻し、線の太さや線の密度により濃淡を表現する試みが行われ、多くの優れた美術品を生んできた。彫刻凹版は19世紀にクリッチュの散粉グラビア(8)の考案によって写真凹版になり、さらにエッチングに電子彫刻技法が加わりデジタル製販に至った。またセネフィルダー(9)の石版術は多色描画石版という美術品を生み、20世紀に入りHB整版の出現で色分解と網点表現が可能になり、さらに電子整版へ発展した。(10)

画像の再現(reproduction)の技術の歴史は、簡単には、こういうことになるのだが、「画像の3 要素」という点から整理して眺めると、現在の印刷に直接的につながる流れが見えてくる。

第1の要素は形の再現である。画家は自分の目で見て相似形を描く。浮世絵の版木は絵師の肉筆の絵を版木彫師がなぞって掘って版を作成する。版に凹凸を作るのではなく、水を弾く部分とそうでない部分をつくる石版印刷(リソグラフィー)では、石の上に直描するか、原画をなぞったパターンを転写して石の上に画像を書く。

これらの基本であった形を再現する技術は、写真術が発明され光学的に像を複製することが可能になって飛躍的に発展した。写真機を含む写真技術そのものは、1839年、フランス人のダゲールによって発明された。この写真技術を印刷に結び付けたのはドイツ人のヨーゼフ・アルベルト(1925~1886)で、写真機の発明から30年後、彼が41歳の1869 年であった。彼によって写真と印刷とが結び付いた写真製版法(コロタイプ印刷)が発明された。これはゼラチン表面の不規則なシワに伴う版面のインキの受容量によって、濃淡を表現するというものである。

第2の要素は色の再現である。たとえば、浮世絵では色毎に別の版を彫って作って、それを刷り重ねた。ドイツ人のヨーゼフ・アルベルト(1925~1886)発明の写真製版法(コロタイプ印刷)は、最初は白黒だったが、彼が45歳の1873年、増感色素が発見されて3 色分解が可能になると、その翌年の1874 年には3色を使ってカーペットの複製印刷も実現した。

この流れの延長線上に主人公の市田幸四郎氏の存在が浮かび上がってくる。カラーの原稿を光の3原色で色分解しても3 色のインクでは再現できない。いわゆる光の3原色と色の3原色の違いで、当時は10色以上の色の刷り重ねが必要で、その簡略化が探求されていた。1904年、米国のヒューブナーは藍・紅・黄・墨の4原色(それに磨りガラス を使って作成した2、3色の淡色を加える)から製版する方式を発明し、1910年、同じドイツ系米国人のブライシュタインと協力し、このプロセス特許などの販売会社を設立し、両者の名前にちなんでHB プロセスとして各国に提供するようになった。これを市田幸四郎が音頭をとって市田オフセット印刷機など6社シンジケートを組んで日本に導入した。

そして第3の要素はいわゆる「Being Digital」である。「Being Digital」は1995年発行の一世を風靡したネグロポンテの書籍のタイトルでもある。「ビットはデジタル・コンピュータの基本粒子である。この二進数(オンとオフ、0と1)の意味は過去25年以上に大きく拡張し、いろいろなものがビットで表現されるようになった。音声や画像など、デジタル化して1と0で表現できる情報の種類はどんどん増えてきている。」印刷での先駆者がHB プロセスであった。

約100 年前に日本で起こった「Being Digital」の流れで起こった「印刷技術革命」の主人公が明治18年(1885)生まれの市田幸四郎だった。彼自身 がエンジニアであって革新的な新技術を発明した訳ではないが、マイクロソフトのビル・ゲーツのような人だったと思う。昭和2年(1927)、42歳の若さで交通事故で亡くなったが、日本の印刷産業の歴史に大きな足跡を残した。

HBプロセスを導入し市田幸四郎が最初に制作したもの一つが、右の大阪商船のポスターであった。それまでのものとの違いは一目瞭然であろう。

  1. ビュラン(BURAN): 銅版や木口木版を彫るために用いる彫刻刀。全長約12cmの鋼鉄製の棒で、刃先は斜め45 度に切断され、菱形か正方形の断面を持っている。他端から全長の3分の1の部分で折れ曲がっており、その先に木製の握りがついている。刃先はV字型に版面に食い込み、明快で硬質な線が刻まれる。
  2. クリッチュの散粉グラビア:オーストリアのクリッチェ(クリーチュ)の1879 年の発明。アスファルトの粉末を銅板に散布し、その上に写真を焼き付けて版面を作る。
  3. セネフィルダー:1771~1834年ボヘミア生まれ。ドイツのミュンヘンで物理的に平面な石の上で化学的にインキを紙に転写させる方法を発明。楽譜印刷から広まった。
  4. 「印刷博物誌」第3 章画像の表現 (凸版印刷株式会社)2001年