幕末維新に生まれた金属活字(7/8)

河野通

三  発明者と事業家

幕末から維新の初めに起こった活版技術の開発は、欧米の模倣とは言え、それに当たる人にとって、並々ならぬ努力と工夫と財力と政治的庇護や協力が必要不可欠であった。事業化の観点から先に述べた人々を改めて見てみたい。

私は、物事の事業化には五つの要素が必要と考える。すなわち技術、需要、資本、人材、マネジメントである。まず技術であるが、活字を作るために必要な基本技術は母型の製法であり、活字合金の配合である。本木や木村はパンチ方式から電胎法に切り替えて成功している。26

欧米の活字製作で主流のパンチ方式では、何故、漢字活字の製作で困難だったのだろうか。まずは漢字は、必要な字数が少なくとも六五〇〇字と数が多いことである。また硬い材料に字画の多い文字を打ち込む場合、細かい線を出すことが非常に難しい上に、壊れやすかったためである。島は、柔らかくて水分の豊富なネコヤナギの木を用いて、加工を容易にして成功した。27 合金の配合は、かなり選択肢があるので、大きな障害にはならなかったと推測される。文字の彫刻や鋳物には既存の技術が転用できた。

需要については、前にも述べたように、書物の需要は多かった。しかし、一八七一年(明治四年)の廃藩置県、一九七二年(明治五年)の改暦、一九七三年(明治六年)の布告・公報の官費による配付などと続き、需要はさらに大きく増えた。28