わが青春の譜(9)(3/5)
山岡浩二郎
カズヌーブ社・他訪問記
ここでは組み立て作業について、たとえば大きなベッドを摺り合わせる際、摺り合わせするものを掴むように簡単なハンガーをつけ、二人がかりでなくとも一人の作業者で十分組み立て作業ができるようにするなど、省力化を配慮した工夫の数々がまず目をひいた。
次に訪れたのは、昌運が昭和二十八年(一九五三)十月以来技術提携をしているフランスのカズヌーブ社である。この会社も私自身は過去数回訪問していたが、提携会社の社長としてはこのときがはじめてであった。
左から早坂工機社長の早坂虔一郎氏、2人目カズヌーブのアンリ・ブルエ副社長、右端ドーレ氏(カズヌーブ社の門前で)
この会社も次々と新しい工場を増やしているが、その折の基本的な考え方は、「ワンプラント・ワンモデル」ということだそうである。この考え方は、ヤンマーの農村工場その他を見て生まれたもので、一ヵ所の工場であれこれやってしまうのでなく、一つの機種を一つの工場で生産すればうんと簡単にしかも安く出来るということで、製品のコストに主眼を置くルシアンーブルエ社長の考え方はこれでよくわかった。
また、リヨンにあるビエンネの工場は、このとき勧められたが旅程の都合もあって行けなくて残念だったが、聞くところによると、ここではマネージャー以下全体で百人(直接人員九十人、工場長も入れて間接人員十人)の従業員が、一週間四十五時間制で、月に二十五台の旋盤とコピーイング・アタッチメントを製作している能率の良い工場だそうで、しかも労務問題等の卜ラブルもほとんど起こらず、働きたいという希望者も多く、よく利益も出て、従業員も幸せになっているということだった。私はこの時点でまだNC機には力を入れていなかったが、旋盤一筋のカズヌーブ社の経営姿勢には強い感銘を受けた。
それ以外で興味深かったのは、この会社では中古品専門の会社をつくり。
(修理の対象になるHB型旋盤はフランスで約一万台あるといわれる)、そこでは中古機械の修理を行なうなかで、改良点を教えたりアタッチメントやコピーをつけるアドバイスをして、中古品の値段を下げないように維持していた。つまり中古品になってもビクともしない、実質的には割安な旋盤であることをユーザーに示し、それを基盤に新しいューザーを開拓していこうという考え方で、大いに学ばねばならないと思ったのである。
それからブルエ社長は、「最近NC機が盛んに取り沙汰されているが、マシニングセンターなどにはよいが、旋盤のNC化には問題かある。いわゆるコピーイング・レースとして、まだまだ安い旋盤で十分お客さまを満足させ、売っていく方法がたくさんある。NC機と倣旋盤で一分間かいくらにつくかをつねに考えるべきだ」とも話しておられた。長い経験と二万におよぶ顧客の上に立って、しっかりと旋盤を見つめ一歩一歩前進してゆく細かい考察、コストの上に立ってゆく考え方に私も同感である。ただし、この考え方に徹する道と同時に、新しいアイデアを求める方向も大事で、これからは二つの方向が必要になろうと私は考えた。
西ドイツのハノーバーでは工作機械展ハノーバー・ショーの見学と国際金属加工会議にも出席した。会議の討議資料、ショーに出品されていたルノーのアッセンブリー・トランスファーマシンの写真など、すべてがその後の参考になった。
西ドイツで訪問した工場は、歯切のファクター社をはじめ、ヒューラー社、コップ社、コンスタンチン・ラゥフ社などであった。
ヒューラー社を私が訪れたときは、ちょうどソ連政府から依頼された乗用自動車用エンジン(本体はアルミダイキャスト)の、アッセンブリー・マシンの全体をつくっている.中だった。これはシリンダーボディあるいはエンジン全体のアッセンブリー・マシンで、ワンライン八十台/一時間の作動夕イムのコンベアー2ラインでヘッドカバーのアッセンブル、シリンダーのアッセンブルを行ない、.終的には全部のアッセンブルをしてしまうかなり長いものだった。
コンスクンチン・ラゥフ社は油圧機器のメーカーである。千六百人の従業員に百人の設計者がおり、ドイツの典型的な森林工場で、門の前まで行かないと、いったい工場がどこにあるのかさっぱ・りわからないというところであった。ドイツの田舎の青年男女が楽しそうに働いていた。トラクク用、建設用、プレス用、船舶・クレーン用と用途も拡大し、ソ連からの注文も増加して工場も拡大中で、二代目ラゥフ社長を中心にほんとうによい会社だった。
この地で興味をひいたのは、新しい時代を担う若者を養成するために、新たに大学の建設準備を進めている。「大学都市ウルム」の現場を見せてもらったことである。世界一高い、百六十一メートルの塔がそびえる教会のあるウルムの町で、そのなかでいちばん古い教会を、政府と市が資金を投じて壁などを塗りかえて大学本部とし、そのなかに地理、歴史、美術関係の書物を蔵書し、昔の教会の人々が勉強した姿そのままの荘厳な図書館を残すなど、伝統と現代をミックスした実に素晴らしいものであった。
ドナウ河の上流にある古い町だけに、河畔には昔の古い城壁があり、その上が散歩道になるなど味わい深い。私はその日のロンドン行きを中止して、夕方その道を、コンスタンチン・ラゥフ社営業担当のトルノー重役達の案内でいっしょに歩き、ドナウ河のいちばん奥のブラウンリバーの、三抱えもある大きな柳の木のある魚市場のレストランでます料理を食べたが、このときの印象は長く忘れられないだろう。