わが青春の譜(9)(5/5)

山岡浩二郎

シカゴで考えたこと

シカゴ・ショーは、西ドイツのハノーバー・ショーがただ機械を置いているだけなのにくらべて、ひじょうにダイナミックな展示方式で、とにかくほんとうに売ってみせようという意気込みにあふれている。何時何分から説明を行なうと椅子とレシーバーをちゃんと用意したり、プレイを行なって見せたり、動いている機械がひじょうに多く、NC機も百台近くが動いているといった様子だった。

反面、会場はいわゆる三等地、四等地といったひじょうに汚いところにあり(翌年にはミシガン湖畔に素晴らしい展示会場が完成)、バスが着いても会場がどこにあるのか、すぐにはわからないほどだった。港の倉庫のなかではプロダクション・コントロールーショーが行なわれているというので入ってみると、足を踏み入れたとたん会場内はひじょうに美しく、百人ほどのタイピストが見学者のネームカードをどんどん打っており、まことに機能的で、いかにもアメリカ的なところを感じさせられた。その点ハノーバー・ショーは広い敷地のなかに建物が散在し、各会場へは電気自動車が運んでくれるというように、万事がのんびりと鷹揚たった。

ついでながらネームカードに言及しておくと、登録カードを出すと、タイピストがその場で、会社名、所在地、氏名をタイプしたプラスチック製のカードをつくってくれる。これを商談等を必要とする出品会社の受付に提示すると、受付はこれを原版にして複写にとり、後刻、顧客カードに転用しようというもので、これもアメリカ的な小気味のよいアイデアのひとつといえようか。

さて、シカゴ・ショーで注目したことのひとつは、将来はNC機が出回るんだと思い込んでいる私たちの常識にぴしゃりと浴びせかけた、アメリカGE社のマーケッティング・マネジャー、ドン・ライス氏の次のような発言だった。「一九八〇年代までは現在のNC機が風扉していくが、いずれは個々の機械に付いたNCが取り除かれてなくなり、統計的予測によると、一九七五年までには少なくとも二五パーセントから30パーセントのNC機は、何らかの形で、ダイレクトなコンピューク・コントロールになってゆくのだろう」

シカゴ・ショーで機能的な役割を果たしていたネームカードのタイピストたち

まったくそのとおりで、アメリカではどんどん人件費が上昇していくので、製品の値段を安くするためには、重切削をしてもっと人手を減らす方法を講じなければならないところへ来ており、コストに気を配っている様子がよくわかった。ドローイング・マシンをコンピュータに接続してやっていくような機械がすでに多数出ているのも、この流れに沿うものといえよう。事実、私が訪れたウォークシャー・モーターやツウィン・ディスクでも、五、六年も使ったNC機の精度がだいぶわるくなったので、次に買い替えるときには、個々の機械にNCが付くのは無駄であるから、群制御へもってゆき、しかもその機械を三交替で使うようにしたいといっていた。

つまりNCが付く機械である以上、一台六百万円の旋盤が千八百万円になっても、三交替で使って、しかも一人で最低二台のNC機を使うことが原則であるから、ユーザーの採算(ユーザーズ・コスト)はとれるというわけである。アメリカではこの時点でこのような考え方でNC機を使っていたが、ひるがえって日本の現状では、当時はまだNC機を恐る恐る使っているというのがほんとうのところであった。

そこで私は、NC機とは重切削が出来て、チャッキング装置や工具の管理が完全で、また機械のことをくわしく知らない人が使ってもまちがいの起こらないような機械でこそなければならないと思ったのである。頭のよい人にしか使えないような機械であってはならないと思ったのである。そのようなNC機をつくることを目標に、みんなで努力してゆかなければいけないと思ったのだった。

いま一点、シカゴ・ショーの会場にいて気づいたことは、私たちが現在ほんとうに必要としている工作機械は、このショーでは姿を見せていなかったことだった。

私かアメリカにいる時に見た新聞には、ピント(フォード)、ベガ(GM)、デモン(ダッヂ)、ダスター(プリムス)、グローリン(アメリカンモーター)等の自動車メーカー各社が、一九七一年度型のコンパクトカーの写真を載せており、これらの生産では、フルーオートマチック・アッセンブリング・システムをとっているのに、このようなアッセンブリング・システムはシカゴ・ショーには出ていなかったのである。またより簡単な専用機、切削粉を出さぬ成形機、プレス類、ローリングマシン等もあまり出品されていなかった。その点、シカゴ・ショーは、現状の私たちのものでないということも頭に入れておかねばならないことであった。

つまり、私たちは、日本の自動車がアメリカヘ進出したのと同じように、アメリカでつくっていない、もっと小形で妥当な価格で能率の上がる機械は何であるか、あるいは日本の国内市場で利益の上がる機械は何だろうかと考えねばならない。ただものを削るだけでなく、いちばん人手を必要としている組み立てを考えたものもあわせて検討してみる必要があるだろうし、切削屑の出ないやり方も、若い人に考えてもらう必要があるだろう。いかにして人手を少なく、いかにして切削屑を出さずに、しかもいかに早く精度を出すか、すべて使う側に立って喜んでもらえるものをつくるように、広く世界に目を向けて努力する必要があるのではあるまいか。

(つづく)