凸版印刷とともに60年(1/15)

鈴木和夫

まえがきにかえて

この『凸版印刷とともに六十年』は、凸版印刷特別相談役、鈴木和夫氏が平成十八(二〇〇六)年六月に発行した個人出版『八十歳のラブレター妻へ、子へそして後なる人たちへ』からの抜粋である。

著者は大正九(一九二〇)年東京生まれ。戦前の東京山の手で育ち、戦中は学徒出陣で海軍航空、戦後は経営者として経済復興を担った文化人経営者の自画像である。

書名は、八十歳の誕生日の折に、英文で妻に送ったラブレターのエピソードに基づくの個人出版は、エッセイ集『八十歳のラブレター』、写真集『旅の途上にて』、講演集『鈴木和夫講演録』の三分冊から成り立っている粋した部分は、『八十歳のラブレター』の第一章「私の歩いてきた道」の中から、鈴木氏が凸版印刷㈱に入社した昭和二十(一九四五)年から、社長を退任する平成三(一九九一)年までの約四十五年間、頁数で言えば、八十二頁から百五十四頁までである。

鈴木氏は社長を退任後、会長、相談役を歴任し、平成十八(二〇〇六)年に凸版印刷を退職した下、掲載する部分以前の、いわゆる前史とも言える履歴を簡単に述べる。

大正九(一九二〇)年に東京市四谷区南寺町で生まれる。両親はともに中等学校の教員であっ、父親のだ書家で古筆の研究家としても著名であった。

番町幼稚園では関東大震災、青山小学校では昭和天皇ご即位のご大典、その後仲ノ町小学校に転るが、そこで白木屋デパートの火事を経験する。

東京府立四中(現戸山高校)、東京商大予科を経て昭和十七(一九四二)年学部(現一橋大学)学。ここで生涯の精神的支柱になるドイツの歴史家F・マイネッケの『近代史における国家理性の理念』に出会う。「国家は常に権力衝動に動かされるが、野放しにこの衝動に身をまかせれば、必ず破滅の悲運に見舞われることは、歴史の教えるところである」。鈴木は、これは国家だけのことでくて、経営者や個人の「生き様」にも通じるという。

昭和十八(一九四三)年十月、雨の神宮外苑「出陣学徒壮行会」の後、十二月横須賀第二海兵団団。

土浦航空隊、鹿児島航空隊、大井航空隊を経て、写真判読要員として洲ノ崎海軍練習航空隊で。それまで帝国海軍には、写真判読という技術はなく、大日本帝国は情報不足、技術不足、知識不足の中で、まったく手探りで戦争をしていたのであった。