凸版印刷とともに60年(13/15)

鈴木和夫

行事・イベントの参加を通じ印刷の原点を考察

私は、印刷の基本・原点を見つめる努力の一環として印刷にかかわる各種の行事・イベントにも的に参加した。

「原点」を見つめるために、写真術誕生百五十周年記念行事に参加した。平成二(一九九〇)年は、イギリスのタルボットとフランスのダゲールによって、写真技術が発明されて百五十周年に当たり、世界各地でそれを記念して様々なイベントが催された。日本では日本写真家協会が主催して、昭和三十五(一九六〇)年から昭和五十四(一九七九)年にいたる二十年間に活躍した、世界の写真家五人を顕彰した。

この二十年間は写真の技術とその表現が急速に発展して、芸術的にも社会的にも力を発揮した時ある。

私はその精神に大いに共感を覚え、凸版印刷として全面的に事業を支援した。

内外の関係者を招待して、感謝と表彰の祝賀パーティーを催し、さらにその記念のために収集し真二百七十点の写真集(講談社刊)の制作に協力。そしてそれらの写真を「トッパン・コレクション」として新しくできた東京都写真美術寄贈した。

「日本のポスター100」東京展会場風景

また、ニューヨークで開催されたICP(The International Center of Photography国際写真センター)の平成二(一九九〇)年度の年間表彰式で、写真界に多大な貢献をしたという理由で、顕彰された。

写真技術が、印刷界に導入されたのは百年ほど前のことではあるが、写真技術なて、今日の印刷技術の基礎の確立と、発展は見られなかったことに思いを至らせて、写真百五十年事業に協賛を行ったのである。

もう一つ「基本」に関することとして後の昭和二十(一九四五)年から昭和五(一九八〇)年までの三十五年の間で、芸術性に優れている日本のポスター百点を、デザイン界を代表する方々の協力を得て選定し、原寸大の複製を作製、さらにその画集(講談社刊)を作成した。そして日本を始め、世界の有名美術館、美術研究所、芸術・印刷・写真専門学校などに寄贈した。

復刻作業に関しては、わが凸版印刷の技術の粋を結集して行ったが、既にデザイン原画が喪失して、印刷物しか残っていないものもあり、並大抵の苦労ではなかった。グラフィックデザインと印刷とは、手を携えて歩んできた。復刻したこれらの資料は、印刷界、デザイン界の両方にとって、後世に残るヒットであったと自負している。さらに引き続いて「世界のポスター一〇〇」と銘打って同企画を行い、大変に好評であった。

「先端」として社会にアピールした企画は、平成二(一九九〇)年大阪で開催された国際花と緑の博覧会の会場で、開会から閉会まで、半年にわたって毎日配布した「ハイビジョン・グラフ」であるれは「ソフト・ウェアのパビリオン」とも言うべき、先端企画ものとして大変な好評を博した。

ハイビジョン・カメラによる取材から、デジタル方式による文字・画像の編集、割り付け、製版送そして印刷、配布まで、一貫してわが凸版印刷のみで行った。今や文字、画像、写真などの情報が、製版され印刷用情報に転換されて、人工衛星や光ファイバー・ケーブルによって世界を駆け巡代である。

私は、急速な「技術のデジタル化」に伴う印刷業界の地図の塗り替えが、世界を舞台に行われる性が出てきたように思い、この企画を相当の無理を覚悟で推進したが、幸い無事半年続けられてホッとした。

昔は十年一昔と言ったが、今は一年、一月はおろか、一日すら一昔と感ずるほどのスピードで世の中が変化している。インターネット、イントラネットと目まぐるしい毎日である。花博の頃には、先端技術として大見得を切った「ハイビジョン・グラフ」も、現在は新たな装いで再出発している。日本の技術がグローバル・スタンダードになるかどうか、紙一重の戦いであった。