凸版印刷とともに60年(10/15)

鈴木和夫

変化の時代を生き抜くための基本理念を作成

私が凸版印刷の社長として、経営全般の責任を預かっていた時の経営理念には、「基本に徹し 先端を走ろう」の精神が底流に流れていた。基本を徹底的に追求していけば、自然と先端が見えて。その上に立って、「印刷は、文化に根ざした情報・生活産業として、人類社会に貢献する」との印刷の存在意義・存在理由を確認している。

私の言った「拡印刷」、「二・五次産業」、「プリントロニクス」、「ワンソース・マルチメディア」などの様々なキーワードやスローガンに類する言葉は、すべて企業理念に基づいた経営の方針、姿勢を示すものなのである。そのような考え方が、役員、従業員のそれぞれの立場や役柄にマッチして具体的な行動計画として打ち立てられてこそ、企業は前進し得るのである。

最近ではインターネットなどの新しい技術を通して、国際化が急速にクローズ・アップされている。そのようなアナログからデジタルへの技術革新は、印刷にも多大の影響を及ぼし、例えば製版は人工衛星を使って「世界を駈け巡る時代」となり、必然的にISO(International Standardization Organization 国際標準化機構)による標準化問題も不可欠のこととして台頭してきた。

企業として最も望ましいことは、無意味な過当競争を排除することである、と私は思う。

ダンピングによる強引な力づくの引っ張り合い競争などは、最も下劣なものだ。それは知恵がなく、力だけしか持たない者のやることか、あるいは、自分さえ良ければ他はどうでもよいというエゴイスティックな者のやることである。いずれにしろ、市場の大切さを考えない暴力である。市場をに陥れ、共倒れになる。

他社に真似のできない、独特の技術開発やマーケティング手法により、価格競争を排除できれば良い。遅かれ早かれいずれ他社はそれを追いかけてくるが、常にその先を走ることができればさらに良い。世界的印刷会社であるアメリカのR・R・ダネリー社では、そのような方針を貫くことをモットーとしていると会長兼社長のウォルター氏も言っていた。

しかし、それは理想であって現実の行動においては難しい。

社員全員に配布した『変化の時代を生きる』。わが社のこれからの生き方の参考を示した

カラーテレビのブラウン管に使われるシャドー・マスクやトリニトロン・グリッドの製造を再開するときの決断は、私の経験の中で、その理想に向けて頑張った数少ないものと今でも思っている。

社長になって間もなく、わが社がシャドー・マスクの製造をやめているのに気が付いた。というのも私が東京書籍の社長に赴任する前の専務時代には、確か、製造していた記憶があったからである。早速、技術の幹部を召集してシャドー・マスク製造「再開」という社長命令を発した。

その時私は次のように言った。

「民生用のシャドー・マスクは、既に先行の同業者があり、価格競争の様相を呈しているので、無理な市場参入はしたくない。産業用の高精細シャドー・マスクは、まだどこも手がけたばかりで技術競争の段階だから、難しいけれども高精細からやってもらいたい」。

私の考えは効を奏した。大切な既存の市場を破壊することなく、業界の秩序もまずまず保ちな、各々がそれぞれの特徴を持った技術力を発揮して、マーケットの要望にお応えできたと思っている。この精神は、これ以降大きく発展することになる、液晶カラー・ディスプレー装置用のマスク造にも生かされた。

私の言う「基本に徹し先端を走る」の「基本」とは、広い意味での「要素技術」を意味するえば、ここで言うシャドー・マスクも元をただせば、印刷職人たちの従来からの写真技術、腐食技術、鍍金技術などなじみの深い要素技術なのである。

そういう「基本」技術を確立していたが故に、「先端」のシャドー・マスク技術の市場に参入することに、恐怖どころか興味と自信すらあったのである。