印刷 文化と文明の関わり(2/11)PDF
元凸版印刷株式会社 河野 通
文字の始まり
文字は5000~6000年前メソポタミアに発し、エジプト、中国、インドに伝播し、それぞれ独自の文字を生み出したと考えられている。メソポタピアのシュメール人たちは税金として取り立てたものの数量を記録するために粘土に刻んだ記号を発展させて楔形文字に至った。エジプトではヒエログリフという象形文字になり、中国では商の時代に甲骨文から漢字が発生した。インドでもほぼ同じ時代にインダス川流域で文字が発明されたが、いまだ解読されていないものがある。他にも文明の消滅とともに解読されていない文字文明が沢山ある。クレタ文字は長らく一部の支配者にのみ使用された。
文字で記録された書籍は書物のある所に出かけて見るか、それを写し取るしか広める方法はなく、知識は一部の人々の間でしか共有されなかった。東ローマ帝国の崩壊や十字軍によりイスラム文化や古代ギリシャ・ローマ文化に接したヨーロッパ社会はそれらの吸収を通して中世のローマカソリックに精神的に支配された時代からルネッサンスへと時代を変えてゆく。それとともに写本のみであった聖書などの書籍の需要は広い範囲に広がり始めた。まさに大量に、安価に、早く、書籍を求める機運が高まったのである。
グーテンベルクの銀河系
- グーテンベルクは錬金術師だった
活字合金の秘密(固まると膨張する) - 大印刷時代
25年でヨーロッパ中に 150年で世界中に - 活版印刷のもたらしたもの(近代文明ここに始まる)
対数表がケプラーの法則をもたらした
- レコンキスタ、十字軍、オスマントルコによるビザンチン帝国の滅亡等により東西の文物、人の往来が盛んになり、文芸復興、ルネサンスの動きが起こる。15世紀はまさにこのような時代であった。十字軍のお陰でヨーロッパの交通は便利になり各地で巡礼の旅が盛んになる。これを目当てにお守りや記念のメダルを売る人が増え、そこからも同じものを沢山作る需要が出てきた。
- ドイツのマインツの人、グーテンベルクはそんなメダルを作る職人の家に生まれた。まだ鉛などの卑金属から金を作り出す錬金術がもてはやされていた時代であった。彼はその家柄だった。これは活字を作るうえで大変重要な知識である。
- 東洋の印刷と西洋の印刷との一番の違いはプレスと摺るとの差である。地中海世界では古くからオリーブ油をとるのにプレスを使う。またブドウも搾るのにプレスを使う。ヨーロッパでは書写材料として古くからベラム(羊皮紙)が使われてきた。しかし15世紀になると中国の製紙技術がようやく伝播し手に入り易くなった。印刷をめぐる周辺の条件は整ってきた。そして印刷が生まれ、急速に発展した。グーテンベルクは最初、免罪符を作っていたようだが、聖書のほうが需要が多く利益も多いと考えて、42行聖書の開発に取り掛かる。しかし、この新しい技術を作り出したグーテンベルクは聖書の完成を待たずに破産し、完成間近かの聖書や活字も工場も技術者もすべて取り上げられ、晩年は教会から年金を貰う身となったと伝えられる。そして彼から印刷技術を取り上げたフストは大成功を収めた。
写本(15世紀 プランタン=モレトウス博物館)
グーテンベルク時代の印刷機
(プランタン=モレトウス博物館館蔵複製機)
\- 活字合金 固まると膨張する
- プレス 両面使える
- 乾燥性インク
- 再使用可能 規格化 同じ鋳型 寸法の同一性 モジュール化
グーテンベルクの42行聖書
模倣から始まる。今で言うリバースエンジニアリングである。子供は最初はまねてものを覚える。
2002年、凸版印刷はバチカン教皇庁図書館の所有する42行聖書の完全デジタル化を行い「印刷博物館」で公開している。12ページの欠落部分は他の保有するものから補った。
大印刷時代
ベンチャービジネスのはじまり
時代 | 出来事 | 世紀 | |
---|---|---|---|
大航海時代 | 15~16c | ||
宗教改革 | マルチン・ルター | 英国国教会 | 16c |
天動説と地動説 | コペルニクスとガリレオ | 17c | |
産業革命 | 18c | ||
国民国家の成立 | アメリカの独立宣言 | フランス革命 | 18c |
- グーテンベルグが1450年ごろ現在のマインツに印刷所を作り、42行聖書を印刷した後、印刷技術はヨーロッパ各地に急速に広まる。1480年には122の町に印刷所ができ、1500年には236の町に印刷所はできた。現代のIT時代のベンチャーブーム以上の起業家ブームが起こった。ちなみにベネチアだけで、1501年に150の印刷所が起業している。芸術家、僧侶、貴族、写字生、写本家たちがこぞって新しいビジネスに参入した。当時の高額所得者に印刷所経営者の名前が上がっている。
- 1450年のマインツから始まって、印刷所は1460年にはストラスブルグ、1465年にケルンとローマ、1468年にバーゼル、1469年にヴェネチア、1473年にブタペスト、ブルッセル、リオン、バルセロナ、クラフク、1476年ロンドン、1539アメリカ、1591年日本と、150年足らずで世界中に広まった。
- 15世紀末までに作られた書籍は、書誌学(書籍の成立・発展、印刷・製本・材質・形態などの研究)上では「インキュナビラ」と呼ばれている、グーテンベルグからの50年間に作られた印刷本、「インキュナビラ」は1500万部を超え、その前の1000年間に作られた書籍の数よりも何倍も多いと言われている。
- そのころ探検ブームが起こり、1472年初めての世界地図がイタリアで出版された。その後、1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達、1498年のパスコダガマがゴアに到着、1519年マゼラン世界周航などが相次いだ。これらの地理学上の新発見と世界の拡大は、印刷技術の発展と旅行記や地図の出版の影響によるところが大きいと言わざるをえない。
- またラテン語ではなく各国の言語による聖書も出版された。1505年の英国国教会成立、1517年のマルチンルターによる宗教改革、それと1543年のコペルニクスの地動説、1609年のケプラーの法則発表、1687年のニュートン万有引力の法則など科学的知見の膨張と相まって、長い「中世暗黒時代」からヨーロッパは一気に開放された。
- ワットの蒸気機関の発明などと相まって広範囲に影響を及ぼす産業革命が起こった。
- 社会構造の変化は政治形態の変化につながる。1776年のアメリカ独立宣言、1789年のフランス革命と国民国家の成立、ロシア帝国の崩壊と社会主義の台頭という流れにつながった。
- 情報インフラの進展が如何に社会に大きな影響をもたらすかを歴史は示している。コンピュータはアップルのスチーブ・ジョブによって一部の専門家から一般の人が使うパソコンという道具にされ、その基本動作ソフト、OSとしてマイクロソフトのビル・ゲイツによってウィンドウズをデファクトスタンダードに仕立てられ、それにインターネットという通信革命が加わっているのが現代である。
- かつてアル・ゴアは「アメリカはグーテンベルグの二の舞は決してしない」と言った。日本はこの言葉の重大さを気づかなかった。インフラにカネを使えばという発想に固執し、世の中の仕組みは大きく変わる、大きく変えられるという視点に欠けていた。それで1990年代を日本は見失ったという見方もできなくはない。さらに大きな変化がこれから引き起こされる可能性が強い。