印刷 文化と文明の関わり(6/11)PDF

元凸版印刷株式会社 河野 通

画像の製版(木版、銅板、石版)

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画像の印刷はどうしたのか。活版印刷が発明されても初めは挿絵など画像は手書きで書いていた。14世紀から15世紀は木版や銅板画が、活版印刷と絡めて、だんだん使用されるようになったが、大型のものや色数の多いもの、あるいは楽譜のような複雑なものは対応できなかった。

それには「色」の問題があった。やや堅苦しいが、近代的な印刷での色(エッチな意味ではない)の扱いについて理解する必要がある。

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色とその再現方法(色の理解のために)

色を印刷で再現するためには 色の三原色

RGBとYMCK:ニュートンはリンゴと引力だけでない 虹は七色

加色混法と減色混法

R(赤)G(緑)B(青紫)─光の3原色

光は混ぜるとだんだん白色になる:加色混法

Y(黄)M(紅)C(藍)K(黒)─印刷の4原色

物の上につけた色は重ねるとだんだん黒くなる:減色混法

「RGB」は液晶ディスプレイ、液晶テレビ、プラズマテレビなどの基礎であり、「YMCK」は、印刷物のみならずインクジェット印刷機、カラーレーザーコピー機などの基礎になっている。

しかし、各色の発光に使われる物質の特性を踏まえて、いかに自然に見せるかが重要であり、そのため、それぞれの発光要素の特性を踏まえて、全体を色調整する、カラーマネジメント・システムというソフトウェア技術も生まれている。

セネフェルダー

半導体基本技術の生みの親

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1771〜1834年 Senefelder, Johann Nepomuk Franz Alois   ドイツ

凸版 凸起している画線部にインキをつけ、紙などを押圧して、これを移すもの。
凹版 全面にインキを塗り、次に凹部以外のインキを拭き取り、その上で紙などを押圧し、凹部のインキを紙に移し取るもの。いわゆるグラビアなど。
平板 平面上に画線部と非画線部とが形成されている刷版を用いる印刷法。基本的には、水と脂肪とが互いに反発する性質を利用し、非画線部は化学処理によって親水、画線部は親油性とし、版面に水とインキを交互に与えて印刷するもの。いわゆるオフセットと呼ばれるもの。現在、様々な印刷で使用されるようになっている。

1978年 この平版印刷を、セネフィルダーは27歳の時に発明した。そのきっかけは楽譜の印刷をいかに上手く行うかということであったという。

そして、その発明が、結果として、モーツアルトの活躍した時代にマッチし、新聞が普及した時代にも符合し、その背景と同時に変革の原動力にもなったイギリスから端を発した産業革命を背景に発展し、その100年後の半導体時代でも大きな力を発揮することになったのである。

セネフェルダーの石版印刷

基材の表面をパターニングして化学的に変化させ異なった2種以上の性質を持つ表面を作る

楽譜を何とか簡単に印刷できる方法を模索していたドイツ人アロイス・セネフェルダーは、たまたま石鹸で洗濯石に書いたメモを後で酸によって腐食して消そうとしたが消えないで残り、メモを描いた部分は水をはじいて脂分を受け付けることに気がついた。そこで、まず全体を水で濡らしてから、油絵の絵の具のような乾性の油性インキをつけると、インキは最初にメモを書いた部分のみ付いて、紙を載せて圧をかけると、その部分のインキのみが紙に写ることを発見した。酸で石を腐食する深さはほんの数ミクロンでほとんど平らである。この方法を石版印刷(リトグラフ)あるいは平版印刷という。1798年のことである。

この方式は大型、被写体の材質、色数など制約が少なく、その延長線上で20世紀初頭にオフセット印刷方式が発明され、大量生産に向き、写真製版の発明もあって印刷の主力になった。しかも、この技術は物質の表面を化学的に処理・腐食することで精密なパターンを作るのに向いていることから、発明後200年あまり後のIT革命のテクノロジーの中核、フォトリトグラフィーにまで発展することになったのである。

調子の再現

写真術が出来るまでそれは芸術であった

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1909年、米国のウイリアム・ヒューブナーとブライン・シュタインが写真製版法の特許を取得した。湿版写真を用い、感光した後、それをレタッチ(加筆修正)して版を作るというもので、発明者2人の名前の頭文字をとってHBプロセスと呼ばれる。それが日本に導入されたのは1919年(大正8年)で、以後、40年あまり印刷業界で使われることになった。

HBプロセスが採用されるまでは、すべて手作業で「網点」(濃淡を小さな点の大小などで表すもの)をリトグラフの版に描き、そうした版を何枚も使って重ね刷りすることによって完成させていた。日本には版画や染め物などの繊細な伝統技術があり、それが基礎にあったとは言っても、それはもはや天才的技法というより芸術であった。

以下に、明治末期の作品を紹介する。すべて手作業で長いものは2ヶ月もかけて制作されたという。色数も浮世絵に見るように10色以上使うことも多かった。

(注)コロム石版というのはリトグラフ手法の一つで明治大正時代に用いられた。故野村広太朗氏の「日本石版版画の思い出」(私家版)によると、「コロムとはクロムのことで色点版ということである。石版に直接、油脂タイプの墨で、ペン先で濃淡を作りながら色版の合成色で原画を印刷的に再現する方法で、年期のかかる技術方法であった」と書かれている。