技に夢を求めて(12/13)PDF

和田龍児

大学教授奮戦記

大学教授が務まるのか

ここしばらくやや硬い話が続いたので誠に借越ではあるが、筆者の最近の状況をご報告させてもらい、併せて多くの方々への平素のご無沙汰を謝しつつ、近況報告とさせて戴きたい。

時期外れの謹賀新年、いや寒中お見料いである(大事な誌面を汚す失礼をご容赦戴きたい)。

筆者は長年お世話になった豊田工機の専務取締役を退任して、96年(平成8年) 4月から大阪府の寝屋川市にある摂南大学工学部経営工学科に奉職している。

正直なところ今さら、先生になろうとは思ってもいなかった。

担当科目は FAや CIMとは直接関係のない経営学、経営学総論、経営工学特論、経営管理特論、経営工学演習等々である。ちなみに大学についての詳細はインターネットの http://www.sctsunan.ac.jpを、経営工学科については http://www.ise.setsunan.ac.jpに掲載されているのでご覧戴ければ幸甚である。

当初、恩師の森美郎先生(元摂南大学工学部長、京都大学名誉教授)からお話を戴いたときは「今さら、若い学生諸君を指導するような自信も実力もありません。まして現場を離れて長いので、実験指導など到底できません」と、率直に申し上げたが、企業での実務経験を踏まえて経営学や経営管理を担当して欲しい、とのお話だった。

元々、管理・監督などは苫手の方であるし、経営者としてもどちらかと言えば“落第生"の部類に属すると思われる筆者には、経営学や経営管理を講義する資格はない。まして、大学教授が務まるとは到底思われなかった、周囲の連中も同じ思いだったに違いない。

今は高級?フリーター”

幸いにも大学当局や同僚の先生方の絶大なるご理解とご支援を得て、今日まで何とか毎日を大過なく過ごしていると言うのが現在の偽らざる姿と言ってもよいだろう。

今では、授業計画書や講義録の作成、教材の準備、授業、演習指導、卒業研究指導、試験問題作成と採点、試験監督立ち会い、地方入試のお手伝い、地方父兄懇談会、学生の就職相談等々の教務関係から、教室会議、教授会等の会議出席、プリントや参考資料の作成、購人品の手配、来客の対応等々と細かな雑務をこなしつつ過ごしている、要らぬ気遣いをしないのが取り柄と言えば取り柄であるが、今や個人商店の店主の心境である。高級?フリーターの感さえしてくる。

先輩の諸先生方にはお叱りを受けるかも知れないが、大学教師も企業人と同様に結構雑務が多くて、多忙であることが分かった。よほど時間配分を上手にしないと、1日中雑用に塗れてしまうのが落ちである。

当初はタカをくくり、大した知識のない若造相手の講義など、この大ベテラン?の俺様には朝飯前だよ、と言わんばかりに、ろくな準備もしないで授業に臨んだが、これがとんでもない間違いだった。予想もしなかったことだが、最初は2時間(1駒)の授業に8時問程度の準備が必要となる始末であった。自慢ではないが、最近、こんなに本気になり、脂汗をかきつつ勉強したのも絶えて久しくなかったことである。

この現況を例えて言えば、ダムの干上がった渇水期の水力発電所のようなもので、ダムの底が丸見えで発電用水などまったく無いといった状況に似ている。 まず、ダムに水を溜める作業が、この8時間の大半である、次に発電所の機器の整備に数時間、そして発電準備に1~2時間といった具合だ。残念ながら発電機は錆びついて動かないし、送電線類は切れている。

要するに水力発電所は使用不能といった状況が着任当初の筆者白身の有り様であったと言ってよい。大きな組織であれば、大勢の作業員を抱えて親方は指図さえ的確にしていれば良し、といった環境であろうが、ここではすべてを一人で処置しなければならない。

発電用水とは、系統的な知識体系構築のための材料と言える。そして発電機とは、自分自身の知能・知識・処理能力である。さらに送電線や変電所は、教材類と言ってもよいだろう。そのため、筆者の発電所建設作業とダムヘの水量確保作業は続きそうもうろくで、当分、耄碌する暇はない。

パソコンのありがた味を実感

今まで、やや批判的な眼で見ていた情報処理機器としてのパソコンの重要性とありがた味を、最近になってしみじみと実感している。

企業は大きな流れの中で日々の活動を推進しているので、什事はどちらかと言うとインクリメンタルである。つまり、日常業務を効率良くステップ・バイ・ステップで進めており、企業では何年も前の情報や、数ヶ月前の情報はあまり必要としないケースが多い。例えば、前後のステップに関する情報が必要な場合は社内・社外の情報ネットワークにアクセスすれば済むことが多い。

一方、教育を任務の一環とする大学では、むしろ数千ステップくらい前の情報からアップ・ツー・デイトの最近の情報までを系統的に整理して、アーカイブ(書庫)に保存しておく作業が大変に重要となる。そのため、ここで情報整理能力の多彩なパソコンの威力が大きくモノを言うのである。

それも情報のデータベース作成だけでなく、教材の OHPの作成や配布資料の作成に、グラフ作成ソフトや画像処理ソフトのありがた昧も大きい。また、液晶プロジェクター用のソフトも大変に重宝である。広い意味での表現処理能力を大いに活用すべきであろう。

授業にもパソコンは大きなパワーを発揮している。筆者の受け持つ授業の1つに経営管理があるが、その中には皆さんが嫌いな重回帰解析、主成分分析、因子分析、判別分析、クラスター分析等、多変量解析の分野が含まれている。卒業研究には、日本の自動車企業や工作機械企業の経営分析的課題を課しているが、なかなか面白い結果が出つつある、例えば、T自動車とN自動車の市場シェアの逆転は、1985年近辺を境として急激に明確になったことや、工作機械生産量と自動車市場との相関関係などが数値的に明示されるのには、事情を知らない学生も大いに興味をそそられるようである。いずれ機会があれば、ご披露することもあろう。

昔は、大型の計算機で特殊なソフトウェアを操作しなければ解析の実行は不可能であったが、今や数万円の簡易解析ソフトと、ごく平均的な能力のパソコンがあれば、 1秒以内に結果は出力可能となるご時世である。昔日の感を禁じ得ない。

パソコン再入門の真つ最中

世は情報化時代と言うけれども、大企業、中小企業を通じて世間一般の経営者・上級管理者の方々の中でどれだけの人がネットワークに自由にアクセスし、パソコンを自在に使いこなしているのであろうか、筆者は世間の平均水賄並みにはパソコン類の取り扱いには慣れていたつもりであったが、大学に奉職してその必要性を人一倍痛感した一人である。

現在、60の手習いではないけれども、パソコン再入門の真っ最中である。

筆者の先生は入学院生のK君で、パソコン少年出身の無類のパソコンマニアであり、パソコン自作マニアでもある。どこから豊富な知識を仕入れているのかは知る由もないが、ハード、ソフトを通じてわが学科でも有数のパソコン通であることは間違いない。

K君は卒業研究でも、インターネットから資料やデータを巧みに収集してカラフルに仕上げてします器用さである。同僚の久保勝司先生(ちなみに、久保教授は名古屋工業技術研究所のご出身で、飲み仲間である)と筆者は、その出来の悪い弟子と言ってよいだろう。

最近、手作りパソコンを趣味としている若者がいかに多いかの認識を新たにしている次第である、決して今の若者がモノ作りの楽しさや面白さを全く忘れてしまったわけではなさそうだ。

新しい酒は、新しい革袋でと言うが、新しいモノ作りを模索しつつ、同時に新しい革袋も用意せねばならない。昨今の金融・証券をめぐる不協和音はともかくとして、わが国の実体経済を下支えしてきたのは何と言っても「モノ作り」を担う製造業なのだから。

その製造業が衰退しないようパワーを維持しつつ、新しい展開を図るにはどうすれば良いのかは単純ではない。しかしながら、数多くのベンチャー企業の創発的な新技術や新製品の卵をいかに大切に育てるかにかかっているように思える。数年先の売り上げや利益計画の提示をシビアに求める類のベンチャー・キャピタルでは、所詮ベンチャー企業の育成には無理なのかも知れない。

肩身の狭い Made in Japan製

ところで、パソコンについて言えば、メーカー・ブランドよりも今やショップ・ブランドのパソコンが花盛りである。パソコンの筐体をはじめ、部品類の CPU等の構成部品煩が東京の秋葉原や大阪の日本橋界隈のパソコンショップの店先を所狭しと賑わせている。かつてのオーディオ・ショップの衰退を尻目にパソコン・ショップの繁盛ぶりには眼を見張るものがある。

しかし、その部品の原産国は今や、台湾や東南アジア諸国であり、残念ながらメイド・イン・ジャパン製は肩身の狭い思いをしているのがよく分かる。ソフトは米国、ハード部品と組み立ては台湾が一つの大きな流れとなり、定着してしまった感がある。

また、それにも増してフリーウェア・ソフトの付録付きパソコン雑誌類や、各種ソフトを展示するソフト・ハウスの何と多いことか、しかも、その多くは米国のソフト・ハウスの体験版やフリー・ソフトである、これで良いのだろうかとの感慨を持つのは、筆者一人ではあるまい。