技に夢を求めて(11/13)PDF

和田龍児

ベンチマーキングの意義

マクロBMとミクロ BM

経営管理の分野でベンチマーキング(Benchmarking、以下 BMと記す)手法の導入について関心がもたれた時期があった。

実は、われわれは TQC/TQM活動(Total Quality Control/Management)や TPM活動(Tota1 Productive Maintenance)などを通じて、意識せずに同じような概念の管理手法を使っている。

それもそのはずで、BMは日本の TQC活動に範をとり、米国ゼロックス社の品質管理技術者 R.C.キャンプらが中心となって米国流に編纂しなおし、大きな成功を収めた管理手法だからである。いねば日本の TQC活動は、その産みの親というべきだろう。

BMの基本思想は、TQCを換骨奪胎し、社会・労働条件が日本とは異なる経営環境でも、広く適用できるように工夫した管理手法であると筆者は理解している。

ところで、BMの種類はいろいろと提案されているが、企業戦略の立場から言えば、およそ2つの見解が存在すると思う。

その1つは、競争相手と自社との優劣の差異を客観的な計数可能な数値として示し、基準点を明確にする役目である。この BMは企業活動の結果としてもたらされる結果系の BMである。ここではマクロ BM、あるいはパフォーマンス・ペンチマーキングと名付けることにしよう。企業の安定度を示す財務分析指標などの経理指標を、このパフォーマンス・ペンチマーキングとして採用することが多い。

もう1つの BMは、自社自身の持つ経営資源を含めて、企業の実力を正確に認識するための BMである。自分自身を知るための BMともいえる。

前出の R.C.キャンプの著書で紹介され、BMの世界で有名になった孫子の箴言「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず、彼を知らずして己を知れば一戦一負す。彼を知らずして己を知らざれば戦う毎に必ず殆うし」(孫子・謀攻篇)の企業戦略版である。自社内の問題点や課題点を分析・解析して細分化し、各担当部署が実施可能なミクロな基準を設定するための BMで、これをミクロ BM、あるいはプロセス・ペンチマーキングと名付けることにしよう。要するに、ミクロな状況の改善の積み上げによって、最終的に経営効率を改善しようとする立場である。具体的には、流通在庫品量の削減率、製品の品質不良率などが対象となる。

『塵も積もれば、山となる』という古い俗俚があるが、ミクロ BMを積み上げた山が、単なる「塵の集まり」なのか、本当に強固な企業体質を作り上げるための山になるかは、一にかかってメンバー各自の参加意識と改善意欲にかかっていると言えそうである。

独断的「BMの論理構成」

ここで問題になるのは、マクロ BMとミクロ BMの因果関係を厳密な数学的モデルで提示して、それらの関連を数値的に論議することは現状では大変にむずかしい。

そこで、あえて独断で教義的(Dogmatic)に BMの論理構成を組み立ててこの関係を見ると、次のように述べることができると思う。

――結果系として経営を見る場合、経営結果はマクロ BMで参照することができる。――マクロ BMを改善するには、マクロ BMに影響を及ぼす要因(Factor)を摘出して、悪影響を与える要囚を除去するか、改善する必要がある。――ミクロ BMは、要因(Factor)を制御するための要囚系の BMである。

極言すれば、ミクロ BMを改善することは、マクロ BMを間接的に改善することになるという因果律を仮定し、状況改善に真摯な努力を傾注するのが現実的対応だろう。ただ、やみくもにミクロ BMの改善活動を行っても、具体的な成果を期待することはほとんどできない、ミクロ BMの改善活動を、組織的かつ系統的に行うことが何よりも肝要である。

これら一連の全社的活動を、BMによる改善活動と位置づけることができる。では、BMの追求だけで経営は成り立つのか?

残念ながら、答えは否である。

なぜならば、BMは企業の構成メンバー全員のアクティビティのベクトル的総和を計測する評価基準にすぎぬからである。企業内のアクティビティを増加させるには、当然何らかの経営的ないしは管理的な知恵と工夫が必要となる。マクロ BMは、企業経営の最終的な結果を示す指標ではあるが、実現不可能な BMを掲げても無意味だし、努力せず成り行き任せで達成できる BMの設定は罪悪でさえある。

現実的には、現状の BM値の実績を測定し、その何%増とか、何%減とかを a priorに決定せざるを得ない。

マクロ BMは、ミクロ BMの集合より成り立つとする要素還元論的な視点(reductionism)からだけで経営を理解することの妥当性には大いに問題はあるが、 BMの導入が経営システムを解析的にとらえるための便利な道具であることはたしかだ。

もちろん、経営自体はきわめてホロン的(holonic)な性格をもっており、単純な還元論ですべてを律することができぬことは言うまでもあるまい。

企業の体質改善活動の一環として BMを達成する活動が、単なる企業内の形式的な計数管理や数字ゲームの点取り競争の愚に陥らぬためには、経営者・経営幹部の明確な経営ビジョンの提示と冷静な判断力か必要だろう。

透明性と普遍性与えた BM

ところで、最近の国際情勢や経済環境の変化は、これまでの日本の企業、とくに製造業の強さを支えた日本的経営システムや、その基盤となる日本的生産システムに対し種々、意見が寄せられているものと解せる。

廉価で高品質な製品を製造・販売する単純、明快な自由競争原理を信奉してきた旧来の市場戦略は、いまや国際的には簡単に通用し難くなった。それは生産活動の国際化がもたらす、貿易不均衡による摩擦要因とは異なった種類の、もっと奥深い根源的な問題を含んでいるようだ。

一般に日本的経営や日本的生産システムは、属人的な面の多い暗黙示的なシステムと見られがちだが、生産効率が高く、製造現場での作業者の自主改善活動(KAIZEN)などを通じた自己変革性を持ち、白己完結性のきわめて高い、優れた生産システムであることは間違いない。

しかし海外では、日本的生産システムの底流には、労働慣行を含めてきわめて暗黙示的な部分が多いと理解されている。また、製造業の近代的なモノづくりシステムは、明示的なものでなければならず、移植可能で明快であるべきであるという意見も多い。

BMは、そのような観点から透明性を確保するとともに、管理手法に社会や労働環境に左右されない普遍性を与えたものと捉えることができる。

たしかに、企業の直接部門における日本的生産システムの成功が、日本的経営の評価を大いに高めたのは事実だが、経営の与件がたえず変化する時代にあっては、従来思考の延長線上だけでは、必ずしも経営効率の改善にはつながらぬ場合もあると思う。

TQMはまさにそれらの点を勘案して提唱された手法だが、これらの手法は現場改善の管理手法として、生産ラインや製造工程の改善・改良には威力を発揮する。しかし、大胆な企業戦略の転換や革新的な新製品の発想などのように、個人の意思と創造性に大きく依存する部分には馴染まぬ面のあることも事実である。

例えば、マーケット・イン指向も、自社だけの都合を考えればその正当性を疑う者はだれもいない。だが、世界市場の有限性を考慮すれば、正当性も疑わしくなる。同一市場に同一製品を個々の競合企業が大量に持ち込む結果となりがちで、極端な過当競争状況を生成させる遠囚を作りかねない。

もちろん、激烈な競争を勝ち抜いてこそ「ナンバー・ワン」のダントツ(断然突出しているの意味)企業の地位を確保することができるわけだが、下手をすると、卑小な企業エゴの世界に堕する危険性を多分に内包している。

戦術的対応手段に存在意義

企業を取り巻く環境は目まぐるしく変化している。目前の変化に細心の注意を払い、その場その場で適切に対応することも大変に重要である。身の丈を合わせた、自社の経営資源と実力を念頭においた経営が大切なことは言うまでもない。しかし一方、現代は国際情勢や社会・政治情勢の変化が、企業経営にダイレクトに影響する時代であるという認識も必要だ。環境変化の大きな潮流を素早く感じ取り、しなやかに対応するのも経営者の大きな責任の1つだろう。

ここで注意せねばならぬことは、企業内でいかに管理活動を熱心に推進しても、そこからは真にイノベーテイブで大胆な経営戦略は生まれ難いということだ。革新的な経営戦略は、アジテーテイブな大衆運動からも生まれてはこない。革新は常に少数派に属するからである。

BMは、むしろ経営戦略を、実践の場で確実に展開する際の強力な戦術的対応手段にこそ、その大きな存在意義があると考える。

ベンチマーキング Webster辞典によると□l地測示に用いる目印、事前に決定した位置、また基準点として使用される何かを測定・判断する基準」と定義されている。

R.C.キャンプの定義は「ペンチマーキングは、最高のバーフォーマンスをあげる業界の Best Practicesの探究である」としている。また、米国のAT&T社の定義はより具体的で「ベンチマーキングとは、現行のビジネス業務を測定し、それをベスト企業の業務と比較する継続的なプロセスである」としている。