技に夢を求めて(9/13)PDF

和田龍児

製造業の将来係

製造業の再活性化は可能か

ここ数年間の状況を見ると、製造業界自体が将来の夢を失った目標喪失症候群に陥り、一種の閉塞感に覆われているように感じられる。企業のリストラが社内余剰人員の有効活用や技術的な代替手段への再投資なしに、短期的な業績改善のための方策に終始したことも大きく影響している部分もあるようだ。

さらに製造業自体が斜陽化し哀退産業の道を歩み始めたという、人々の謂われのない思い込みも一部にはある。たしかに、製造業の就労人口は減少し続けているし、脱量産化の潮流は否定しようもない。

しかし、このことは製造業が世界に提供している総需要の絶対量が減少していることを意味するものではない。第1次産業の農業の就労人口が減少しているにもかかわらず、世界人口を支える食指の総需要が世界的に減少しているかといえばそうではない、それと同義である。

むしろ自由市場を標傍する経済活勁において農業の相対的な地位低下が、皮肉にも農業生産技術の高度化とともに進行した事実を忘れてはなるまい。世界的な人口増加に対応した食相増産技術の確立は、環境問題と絡み合って 21世紀の最:浪要課題の1つとさえ言われている。

社会の物的再生産を受け持つ製造業についていえば、要は産業構造の大きな変革期を迎えたということである。ダニエル・ペルが提唱した「脱工業化社会」の到来は、彼の指摘した超管理社会の到来の形では実現していないが、生産技術の高皮化が製造業の相対的地位の凋落を促す可能性を全面的に否定できぬことも事実だろう。

かつて社会学者アービン・トフラーは、一世を風扉した彼の著書『第3の波』(徳山二郎監修、鈴木健次他訳、昭和 55年日本放送出版協会)の中で、将来の生産システムについて次のように鋭く指摘している。

「(前略)豊かな国ぐにも、経済的理由と戦略的見地から製造業を全面的に後進国に譲るほどの余裕はない。だから、豊かな国ぐにを純粋な意味で“サービス社会”とか“情報社会”などと呼ぶことはできないのである。豊かな世界が“精神的生産”により生き、残りの世界が物的生産に従事するという見方も、きわめて短絡的にすぎる。実際はそうではなくて、豊かな国ぐにも、ひき続き基幹産業を分担している。にもかかわらず、それに必要な労働者の数はどんどん少なくなっている、というのが実態であろう。その理由は、われわれが製品のつくり方自体を転換しつつあるからだ(後略)」(同書 p262)...。

一国の命運は製造業の消長にかかっていることは歴史の示す厳然たる事実である。

別掲の図は、有名な貴婦人と老婆の騙し絵であるが、われわれは製造業の将来を衰退産業の老婆と観るか、若い婦人と観るかは視座の違いである。その意味では情報技術が製造産業の活性化に果たす役割の大きさに期待するところが大きい。

生産パラダイムの変化

デカルト、ニュートンが機械システムの典型例としたのは時計であった。時計は1つ1つの歯車の運動によって精確に運動を伝え、運動量保存の法則を明瞭に具現していた。

19世紀半ばに機械システムの典型例になったのは工場である。工場は原料を仕入れ、全く別個の製品として産出する一種の物質代謝を行う巨大システムである。

20世紀前半の機械システムの典型例は、フォード型ベルトコンベアの生産ラインであると思う。そして 20世紀後半の機械システムの典型例は、コンピュータと情報処理機器である。

産業革命が工場システムを生み出したように、後世の人々が技術や生産システムを評価するキーワードは情報技術(IT: Information Technology)であると思う。その中心にコンピュータ(なかんずくパソコン)が位置することはいうまでもない。具体的に言えば、現在各方面で進んでいるマルチメディアを含む情報・通信技術と個別固有技術との融合化現象が事態を革新するカギということである。

製造業における生産システムの持つ戦略的重要性は論を待たぬが、前出のトフラーに倣って生産システムの中核をなす工作機械を採り上げ、パラダイム転換の意義とその歴史的経緯を第1の波、第2の波、第3の波に例えて考えてみよう。

工作機械のパラダイム変換の第1の波とも言うべき大きな変革は、産業革命勃発時にイギリスで起こった動力革命とともに、近代工作機械の基礎となった母性原理の確立にあった。

母性原理(Copying Principle)とは、「加工物の加工された部分は工作機械自身の持つ精度と遺伝関係にある」ことを示す原理である。母性原理を明確に意識した近代こうし的工作機械の嚆矢は、産業革命勃発期の J. Wilkinsonの中ぐり盤や H. Moseleyの時計旋盤に見ることができる。母性原理を意識するかしないかは別としても、この原理が近代的工作機械の基本原理であることは間違いない。

第2の波は、1948年以降の工作機械とデジタル技術の結合、大きく言えば工作機械とコンピュータの結合インターフェースとしての NCの登場である。NCの着想は1948年、米国人 J.T.Parsc nsにより、倣いフライス盤で使用するヘリコプター回転翼製作用テンプレートを製作する加工機械として提案され、米国空車に持ち込まれたこうしのが嚆矢と言われている。その後の発展過程はエレクトロニクス素子の発達に負うところが大きく、今や NC技術抜きに生産システムの構築は不可能でさえある。

第1の波では、機械産業の基盤をつくり、多くの産業資本家を輩出し、近代産業の基礎を築き上げたことは周知の通りである。第2の波では、とかく現場作業者の技能依存度の大きかった製造現場の作業環境を大きく変化させ、高精度機械部品の量産化の道を切り開く役目を果たし、多品種少量生産システムの高度化に果たした役割は計り知れぬものがある。

情報・通信技術の導入

独断と偏見を許して戴ければ、工作機械の第3の波は、ネットワーク技術が社会のあらゆる分野に影響を与えつつある現在そのものである。

社会的に見ても、個々の個人ニーズを満たす個の時代になればなるほど、孤独な個を癒し結びつけるネットワークの必要性が高まることも確かだが、こうした環境の中で、情報技術を武器とした製造業のソフトウェア産業化は大きな選択肢である。

ここでいう製造業のソフトウェア産業化とは、製造業がこれまでに蓄積した知的財産を種々のパッケージ・ソフト等の形で商品化する類のファブレス産業(Fabricationless Industry)の育成を意味するのではない、製造業のハームウェア化といった方がよいだろう、物の陰にかくれたメタファー(隠喩)ともいうべき「ものづくり」の本質的な部分を抽出し、透明性の高い、移植性のある明示的なソフトウェアの形で議論して、そのアーキテクチャー(設計原則・原理)を明確に確立することを意味している。

産業革命期のイギリスは機械産業でも大きな覇権を握っていたが、当時のイギリスでは自国で発達した紡績機械などの先端技術が外国に流出することを防ぐために、技術者の海外渡航の禁止や発明の独占など種々の方策を実施していた。しかし、問もなく覇権は米国に移転することとなった。

生産技術の範時に入る種類の技術であるが、これらは表面的な「ものづくり」に隠れたメタフアーであり、広義の製造ソフトウェアと言うべき性格を持っていると思う。パラダイム変換の萌芽は、社会的要請に先行して不思議と世界各地で同一時期に発現するが、産業界の対応は市場性の議論を先行させ、とかく遅れがちとなる。その対応いかんによっては企業の命取りともなり兼ねない。

皮相な脱工業化議論に与するわけではないが、製造業分野における情報技術導入による新展開は先決の急務であることは確かだ。