技に夢を求めて(2/13)PDF

和田龍児

技術者は秀でるべし

成瀬政男先生との出会い

大学を卒業以来、数えてみると今年(1997年)でちょうど40年になる。そもそも自分がなぜ実学を目指す工学部を選択したのかを考えると、その理由は案外たわいないものである。

大抵の場合は大した根拠がなかったり、偶然が重なったり、タマタマと言った類の理由なき理由である場合がほとんどだと思う。筆者の場合は、高校時代に親父の本棚を引っ掻きまわしていた時に、たまたま見つけた東北大学教授・成瀬政男博士著の『ドイツ業界の印象』と言う著書にその端緒があったような気がする。

この本は、第2次大戦直前の昭和 16年(1941)に発行された技術啓蒙書を兼ねたエッセイ風の読み物で、ドイツ工業技術の伝統と素晴らしさを先生独特の華麗な文章で綴ったものであった。マーグ歯車の秘密や歯車の最小術数問題、それらを導くためのインボリュート歯車一般方秤式の話など、内容はほとんど理解できなかったが、大変に強烈な印象を受けたのは事実である。そして、世の中にこんなに理論と現実が一致するテーマがある、工学とはなかなか面白そうな分野だな、との印象を受けた。

そんな関係で、大学の専門過程では迷わずに成瀬先生(故人)のご指導を受けるべく、卒業研究は歯車関連のテーマを希望して成瀬研究室にお世話になることになった。就職に際しても、先生が保証人となって、豊田工機に推薦して下さったのも何かの因禄であろう。先生の下で熱間鍛造傘歯車の研究の末端を汚しながら、それ以来は歯車とは全く縁が切れてしまったが、先生の温顔とともに、歯車は初恋の人の想いにも似た淡い慕情を今でも感じさせてくれる代物なのである。

何ゆえ、先生は豊田工機を推薦されたのだろうと不思議な気がしたが、豊田工機は成瀬先生との共同研究で高周波加熱方式の熱間歯車転造盤を試作しており、大学の先輩でもあった当時の豊田工機常務の冨田環さん(故人、元豊旧工機社長)が私をスカウトされたことが後で判った。その後の経緯を考えると、人の縁とは誠に不思議なものであるとっくづく感じている。

夢実現へ精―杯の情熱を

成瀬先生はご専門の歯車研究のほかに、仏教にも大変に造詣が深く、ペスタロッチの幼稚園教育をはじめ、技能者教育などの教育問題一般にも関心を持たれていた。昭和 34年(1959)、東北大学退官後は労働省職業訓練大学校の初代校長として、技能教育の重要性を身をもって示されご活躍された。

神奈川県にある研磨専門加工工場、川崎精機の一介の熟練研臍工であった上円倉三郎さんを、周囲の反対を押し切って職業訓練大学校教授として迎えられたのもその一つの現れであった。『一芸に秀でるものは万芸に通ずる』との先生の日ごろの持論を実践されたのだろう。

いつの時代でも技術者が技術者たる所以は、常に自己の夢を追い求めて、その実現に精一杯の情熱を燃やし続けられるかどうかにあると思う。夢と現実の矛盾と相剋に苦しみつつも、安易な妥協を排し、一歩でも夢の実現に向かって全知全能を傾けるのが技術者の最大の務めでもあるはずである。

成瀬先生は、かなり早い時期から将来の歯車量産技術の希望の星として精密転造技術や精密鍛造技術に注目されていたようであった。昭和 30年(1955)前後には、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の援助を受けてデフのリング・ギヤやサイド・ギヤの精密熱間鍛造の研究も手掛けておられた。トヨタの梅原半二技術部長(故人)が直接の窓口となり、共同研究が進行していたのだ。また、転造術車の方は、当初は冷間転造歯車から研究を始められ、実用段階では、当時の日本電子光学研究所との共同研究で、高周波加熱装置を使った熱問転造歯車の研究に向かわれていた。

今考えてみると、成瀬先生の壮大な夢は歯車の解析的設計研究から始まり、最終製品としての歯車の大量製造技術の確立にあったのだと思う。当時の先生からお聞きしたような、歯車製造技術を革命的に一新するような大展開にはならなかったが、後日、冷間転造歯車技術は豊田工機製の R&P式パワーステアリング装置の小型ピニオン製造にも応川して大きな成果を挙げることとなった。

技術者は優れた職人たれ

表題で言う「夢」とは、技術に対すると言う意|味においてであるが、その夢を実現する基本は何だろうか。

「技術者は職人根性丸出しで社会性も協調性もない変人が多いから困る。視野狭窄症の人間が多い」と極論する人がいる。しかし、技術者はやっぱりまず優れた職人であるべきである。しかも、他人に負けない優れた何らかの腕を持ち、一芸に秀でるべきである。夢を単なる夢に終わらせないためには優れた腕を持つことは必須の条件なのである。色男、金と力はながりけり、と言うけれども、技術者にとって口先立って足腰立たずでは大変困った存在になる。

成瀬先生はよく「一芸に秀でるものは万芸に通ずる」という話をなさっていたが、一面の真理ではある。ごく狭い専門分野の知識や経験がすべて世の森羅万象に通じる訳では決してないが、方法論として経験から学んだ独自の哲学を持つことの重要性を指摘されているのだと理解している。

昨年(1996)秋に出版され話題となった『職人』(永六輔著、岩波新書)はなかなか示唆に富む好読み物だが、その中の一節にこんな下りがあった。

『職業に貴賤はないと思うけど、生き方には貴賤がありますねエ』......。筆者には「技術には貴賤がないと思うけど、技術者の生き方には貴賤がありますねエ」と読み取れるのである。例えば、最新のエレクトロニクス技術やデジタル通信技術などが貴で、野暮臭い?鋳鍛造技術や部品加工・組立技術の類が賤と言う訳ではないが、世問の眼は時代の脚光を浴びる分野の技術に集中するのが常であり、関心が集まるものである。

しかしながら、どのような技術分野でも世阿弥の『花伝書』で言う『秘すれば花』の部分が技術の神髄そのものなのである。『秘すれば花』とは、隠すと言う意味ではなく、ことさら人の眼に触れないと言う意味においてである。それを究めることは至難の技であり、人生の全てを賭けるのに値するものであろう。それら技術の総体から現在の文明社会が成立している以上は、いずれが欠けても困るのである。その意味からは、一見高度な技術でも社会的には軽く見られがちな技術(それは大いなる偏見だが)でも貴賤などあろうはずはない。

一方、技術者は技述者(口先だけの解説者)、偽術者(インチキ占い師)、妓術者(ゴマ擦り幇間)となってはならない。皮肉にも行き過ぎた過度の管理社会は一面、世にこの種のギジュツシャの蔓延を許す環境と土壌を醸成した面のあったことは残念ながら否定できない。技術者にとって、『志(こころざし)』を持つと言うことは重要な素質の1つだとつくづく思う。

志とは何か、その基本は利他の精神にある。前掲の『職人』からの引用であるが、次の一文が目についた。

『人間〈出世したか〉〈しないか〉ではありません。〈いやしいか〉〈いやしくないか〉ですね』。ここで言う志とはそのような類のものなのだろう。

これからは、これまで以上に真に志のあるプロの技術者が評価される時代がやって来ようとしている。プロは他流試合で堂々と戦える実力を備えていなければならない。内弁慶、外味噌では困るのである。技術者はすべからく一芸に秀でるべきである。