技に夢を求めて(5/13)PDF

和田龍児

無人化工場の見果てぬ夢

技術は百代の過客にして...

『月日は百代の過客にして
行きかう年も又旅人也』

俳聖・松尾芭蕉の「奥の細道」の、冒頭の有名なこの一文を読むたびに、筆者は懐かしい、ほろ苦い思い出がある。「無人化工場」実現の夢である。芭蕉は一生を旅人として暮らした人だからこそ、あのような感慨を待ったのだろうが、ひょっとすると技術も、あるいは百代の過客なのかもしれないと思えるときがある。

最近は仮想現実観(Vertical Reality)から始まり、仮想工場(Vertical Factory)、仮想企業(Vertical Enterprises)と、やたらに“仮想"ばやりである。

産業界の各所で注目されているこの仮想概念は、現状を鳥瞰する限り、産業界で真に実用的な意味で広く利用できるようになるのは、残念ながら 21世紀に入ってからであろう。

実は、われわれもこの仮想の無人化工場の夢を見ていたのである。工作機械技術者や生産技術に携わる多くの技術者の夢は、今も昔も本質的なところではそんなに大きくは変わっていないと思う。

雇用環境を囲む社会情勢の変化、あるいは人間の尊厳や人問性を無視した技術音痴と言われようが、夢の一つは完全に無人で部品を製造し、組み立て、性能テスト等ができる無人工場の実現であり、理想的な多品種個別生産を高度なパターン認識機能をもつロボット等で実現することにあると思う。

この生産システム全体は自律分散系を成し、自律分散型ネットワークが張りめぐらされ、システムダウンなどの不測の事態に対しても処置可能な自己改善能力等が備わったものであるべきである。

もちろん、限定された条件では、すでにそれらの夢の幾つかは実現されているか、または技術的には実現可能な領域に達しているものもある。

20年ほど前だが、筆者も加わった一群の技術者たちが発行した約束手形に「完全無人化工場」がある。今で言うところの仮想工場を現実工場に射影したものであるが、残念ながらその手形は現在でも落ちていない、たぶん 21匪紀の中頃には現金化されるかもしれないが...。

なぜならば、われわれが頭で考えた無人工場は、基本的には仮想工場そのものであった。バーチャル世界は、あくまでも計算機上に構築された思考上の「虚」の世界なのである。このバーチャル世界の事象をリアル世界へ逆写像して真と対応可能ならしめるには、いくばくかのリアル世界を担保として差し出す必要がある。

もちろん、担保の部分の評価いかんによっては、バーチャル・ワールドは何倍にも膨らむが、下手をするとバブル経済のごとき状況にならぬとも限らない。不渡り手形の多発という事態になりかねない。

同業間の非営利プロジェクト

第1次エネルギー危機以前の 1970年当時、筆者らは、大学の若い先生方や何社かの工作機械企業の技術者だちと協力して、将来の無大化工場の構想を設論していた。通産省の若い技官連中も加わり、将来は大型プロジェクトとして打ち上げようという途方もない野心を抱いていた。

紆余曲折を経ながら、通産省大型プロジェクト「レーザ応用複合生産システム」として日の目をみるのは後のことである。

当時のコンピュータ技術の水準は、ハードウェア、ソフトウェアともに現在では想像もできぬほどにお粗末だった、しかし、いま考えても当時の無人工場の夢が非常に壮大なものであったとの思いは変わらない。

われわれは N.ウィナーのサイバネテックスや、V.ノイマンの自己増殖モデル等に多大な興味を惹かれ、関心をもっていた。つまり、無人化工場システムの総体を巨大なセル構造の人工オートマタと見立てていたわけである。

以下に、われわれの描いていた構想を、1973年夏、東芝機械(株)と豊田工機(株)でまとめた「無人化機械工場設計仕様書」から引用し、説明しよう。

特筆すべきことは、当時も異色な同業他社との共同プロジェクトが発足して、上記のようなきわめて非営利的な作業が行われ、成功したことである。これは東芝機械技術研究所長の高杜正一氏(当時)の大英断と、両社トップのたいへんな決断があったがゆえのプロジェクトだった。今でも両社の理解と英断に尊敬の念を禁じえない。その成果は、下記の日本特許公開公報 50・49778(昭和 50年)として結実している。

発明の名称
自己細織化機能をもつ生産工場
発明者
本村浩哉
松井直樹
真鍋鷹男
和田龍児
野村健治
島吉男出願日
昭和48年9月4日
出願人
東芝機械株式会社
豊田工機株式会社

さらに付け加えなくてはいけないのは、いまでは考えられぬことだが、本発明は、権利主張を放棄して、あえて審査請求せず、その実用化を後世に委ねたことである。

自律・自己完結型システム

さて、この無人化工場の最も重要な基本的認識は、無人化工場は外界と情報のやり取りをしながら、多分に自己維持的な存在であるべきであるとした点にあった。つまり無人化工場は自律的、自己完結的な閉じたシステムであるべきという認識であった。

そのためには、自己保全能力、自己再生能力、自己複製能力を備えたシステムであるべきで、究極には自己増殖能力さえ備えるべきだとした。

このような観点から、無人化工場のモデルは広い意昧での高度人工オートマタとして捉える理解が必要であることを強調していた。

当然、論理機械としてのオートマトンは質量移動やエネルギー変換を伴わぬので、今日的観点からすれば、まさにコンピュータ内部に構築された「仮想工場」そのものであるということができよう。

この無人化工場の特徴は、セル構成のカプセルによって変容的(Metamorphosic)な生産システムを構成している点にある。セルは通常、セル倉庫に貯蔵されており、加工フロアは白紙状態を維持している。

ここに、ある製品の生産計画が組み込まれると、製品の加工と組み立てに適合するカプセルのレイアウトが自動的に設定され、各セルはセル倉庫から加工フロアの所定の位置に移動して、いくつかのカプセルを生成させる。この過程をセルの遷移状態と呼ぶとすると、この遷移状態を経て、そこに構成されるセル集合体をカプセルと呼び、カプセルは可動状態となる。

カプセルは、GT的配列のカプセル祥と加工機能別配列のカプセル群等々が、それぞれ必要に応じて加エフロアヒに構成される什組みになっている。

このシステムの特徴は、カプセルの基本要素のセルが必要最小限の形態に統一、標準化されてセルとカプセルの組み合わせが無限に変身し、自己組織化機能をもつ変容的生産システム(Metamorphosed Production System)を構成することであった。

その後、同工異曲の提案は多かったが、20年後の今日、似たような議論は仮想工場システムや生物型生産システムの中で、今も盛んに行われている。

しかし、当時議論された姿の工作機械や生産システムは、残念ながらいまだに実用化されていない。